人に話したいけど、ちょっと話せないヲタ話。
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先日、ついに「武士道とエロス」を読み終わった。
ずっと所有していたが、なぜか読んでなかった奴だ。
武士道とエロス。
と聞いただけでも、魅惑的なのになんで今まで積読だったのかよく分からない。
内容はと云えば、武士社会、戦国時代から江戸初期にかけて日本で花開いた衆道(男色)についてである。
高校時代、日本史をやっていて(途中から都合上、世界史に変えたが)なぜにそのとき教科書にもっと載せていなかったのか。もし載っていたら、力の入れようも変わっていただろうに、と思うのは私だけだろうか。
日本史だけではなく、古文でもあるけれど(たしか坊さんと稚児の話とかあったのを覚えているわ)西鶴の男色大鏡とかテキストにしたら、くどいようだが私の興味も倍以上に湧いたと思う。
なぜに戦国時代から江戸初期にかけて男色が流行したのか。
流行したというのもおかしいけど、前後にそういう資料がなかったとしたら、やっぱり流行になるのかしらん。
そもそも男色が女色と並べられて、普通に語られていることから、男色自体が変態的なことだとかいう偏見はなかったらしい。
ということは、それ以前も男色は普通のこととして見られていたのかしら。
この本によれば、明治初期あたりまでそれでも男色は普通のことと認められていたらしいから、その後の反動は同性愛者にすれば厳しい時代だったよなあ。
歴史的文献にはあまりにもさらりと書かれていたため(私だけがそう思っていたのか、あまりにも当然のことなのであっさり書かれていたのか)、信長と蘭丸だとか、家光の男色だとか、イマイチぴんとこないでいた私だが、今さらながらにその深い意味と親密な関係を思い知った。
義兄弟の契りには、肉体関係が含まれていた、という主張に、ほほ~と納得させられながら、日本、しかも江戸時代の日本って、ホントにパラダイスだったのね、と、あらためて江戸ファンになったわ。
韓国からきた官吏に「あんたんところの国の風俗は変わってる」と云われて、笑いながら「あなたはまだ男色の楽しさをご存じないから」と答えてしまう日本って国はなんだろなあ。
兄弟の契りは、そもそも武士社会で少年がやっていくに当たっての保護者と交わすものだったらしい。
武士としての能力を磨くため、女性との関係を遠ざけていたこともあり、少年と保護者の関係は、武道以外のところにも及び……。
そもそも少年ってあたりが、微妙だわねえ。はかなげな美しさでは、女性美はかなわない。
一旦交わした兄弟の契りは、簡単に破られることもなかったらしい。
少年愛から、男同士の固い愛に育つのか。
環境って凄いもので、男色が普通のことと捉えられていた時代(現代ってそういう点じゃ逆行してる)、ゲイもバイもなかったんじゃ、とすら感じる。
男ってものは、結構そういうふうにできているのか、それとも、経験してみればやっぱり結構楽しいのか。
(まあ、女同士もそれはあるだろうが)
あ、でも、いかつい男同士の愛から始まるんじゃなくて、前髪の美少年との恋から始まる辺りが、やはり、
「美しいモノが嫌いな人間がどこにいて?」
って感じで、男も女も美しいのが恋をする対象と感じる。
美しい男も恋の対象なんて、女の私には分からない分(美少女が恋の対象っつうのもないしな~)、萌えなのかも。
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