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人に話したいけど、ちょっと話せないヲタ話。 とは云うものの、結構真面目です。
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エキセントリックな旦那と結婚し、現在オーストラリア在住。考えてみれば、エキセントリックなことばかり好きじゃないかわたし。
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前回、坊さんと少年の関係について書いたが、そういえば坊さんだけが妖しいのではないとふと気づいた。
ここオーストラリアでは、裁判官とかも少年もしくは男との関係で事件になる場合がある。
なんでまた、なるのも難しい裁判官が男をどないぞして人生を台無しにしてるんだ。
お金儲けてるんだから、なにも襲ったりしなくても……。

いや、襲ったりしてるんではないと思う。
あれ、でも、オーストラリアって売春は法律違反だっけか?
(なような気がするが)

旦那の知り合いに、医療関係の仕事をしている人がいて、その人はそれこそ男と暮らしているが(しかも国際同性婚みたいなの)そういうふうにすればいいではないか。
この場合、世間は同性異性問わず、結婚していない人間を一人前と扱わず、相手を決められない人間はずっと半人前なのかいな。

どっちにしろ半人前か~。

とはいえ、裁判官がゲイってのは、オーストラリアでもダメなのかな。
そこからして疑問。
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昔、JUNEなんかを読んで、日本の坊さんは稚児なんぞを侍らせているのがノーマルなのか。へええ、と思っていたのだが、どうやらこんなことは日本だけではないらしい。
(昔の話だよ)
と思ってしまうのは、新聞読んでるとよく、牧師が少年に手を出して事件になってるのが眼につくからだ。
それとも私がそういうのを探してるからなのか?

それにしても結構多いと思う。
ということで旦那に聞いてみた。もしかしたら私の知らない伝統とかあるのかもしれない。

しかしなかった!

ではなぜこんなにも、牧師がらみの事件が多いのか?
日本の坊さんは、昔女性と性交することを固く禁止されていた。で、女性じゃなければいいだろう。ということで、男の匂いのしない少年を侍らせ、ナニの相手もさせていた、んだと思うんだけど(詳しくはご自分で裏を取ってくだされ)。
キリスト教には稚児(少年)を侍らすという習慣はないにも関わらず、最近眼につくこの手の事件は、どうやらホントに最近明らかになったらしい。
当時は恥ずかしくて人には云えなんだ出来事を皆が今になって暴露し始めた。

旦那の想像ではあるが、カソリックの牧師は誰とも性交を許されず、そんなモンに誰がなりたいか?
女に興味がなければともかく。
(話をはしょっているので、極端に聞こえるだろうな)
牧師になれば、少年のコーラスとか、色々少年に触れる機会も多い。
(パラダイス)
少年に対して、保護者の意識(あれ?)。

共通するのは、性交の禁止だけだった。
性交を禁止されて、なぜ少年なんだ!!
分かるような、分からないような。
少年ってなんか、中性的だもんね。
(でもホントにやったら犯罪だ)
小説のアイデアと、書いてた文を打ち直していたら疲れた。
書き散らしていたものだ。次に何が起こるのか分からないまま書いた文章を直すのは難しい。
打っているうちにも文章の歪みや、話全体の流れの不自然さに、そんなわけないやろ。と思いながら読むのは辛い。
もっと大昔になると、子供の書いた文、アイデアを読んでる気分で、しんどくなる。ところどころ面白いんだけど、その部分だけ取り出して再利用なんて考えるとかなりしんどい。
お陰で今日は半日もしないうちに凄く疲れた。

私は書きながら筋を考えるので、後で細かいところを直すのが物すごく大変。
書き慣れてきたら、そんなこともなくなるらしいが、やっぱりあらかじめ何が起こるか知っていたほうが書きやすいし、後から手直しするにもやりやすい。

旦那は日本語など一つも解さないので、眼の前でどれだけ書き散らしたものを広げようと恥ずかしくないが、たまに昔の名残で絵なんか描いてあると恥ずかしくて広げられない。
密かに隠れて、手書きしたメモをパソコンに打ち込んでいく。
書き写したメモは破いて捨てるんだけど、ホントにシュレッダーが欲しいわ。
私の輝かしい過去には、小学校の先生に薦められて、母に児童相談所へ連れて行かれた、というのがある。
ちょっとばかり物静かな子だったので、自閉症じゃないかと思われたらしい。
先日、実家でテレビを見ていたら、この人にインタビューされたのよ、と母に示されたわ。児童相談所のおじさん(ローカル番組のしつけかなんかのコーナーだった)

つい最近まで自閉症ってどんなんか、イマイチ分からなかった。
こちらで自閉症の記事を読む機会があったのと、旦那から送ってもらった自閉症の子供が主人公の小説なんかを読んで少しだけ分かったことがある。
彼らは人とのコミュニケーションが苦手らしい。
表情から相手の感情を判断できないらしい。
知り合いに自閉症の子供を持つ親のいる旦那がその人から聞いた話では、どうやら体内にある水銀が作用しているとかいないとか。
しかしその水銀はどこから来たんだ?

それはさておき、人とちゃんとしたつながりを持てない場合、どうやって愛をはぐくむのか。というか、愛情を持てるのか。
ちょっとばかり、例の栄光の穴のことを思い出してしまった。

性的に(ワイルドに)アクティブなゲイだけではなく、ロリコンなどの特殊な性癖を持つ人も相手とちゃんとつながりを持っているのか(持てるのか)という疑問につながってくる。

ロリコン、ショタコンの人の好きな相手って、子供だけど、相手が大きくなったらもう愛情を抱かないんだったら、これって愛情を持っている、または持っていた、と云えるのか?
というのが前にも書いた私の疑問だった。

こういう性癖を持つ人たちって、愛はなくても平気なのだろうか。
それは余計なお世話かもしれんから、純粋な疑問として、こういう人たちはセックスする相手に対して、愛情なんて持たないのだろうか。

うーん。
なんかこう、説明不足な気もするが、今のところうまく云い表せないなあ。
栄光の穴のことを考えていた。
穴からナニを出して、ナニすることで毎回満足していたら、愛なんて必要ないなあ。
相手はどうでもいいなんて、セックスはスポーツなのか。
いや、時に男はそれで満足する生き物らしい。
女でもいるかもしれない。

というわけで、旦那に聞いてみた。
こういう人たちは、その後歳を取ってきたら(若者と決め付けているわけじゃないけど)やはり愛情のある関係を求めるようになるのか。それともこのままなのか。

知り合いにもゲイカップルはいる。
彼ら、もちろん私たち夫婦よりよっぽど長い関係を気づいている。
そこには愛があるに違いない。
いや絶対ある。

初めから愛ある関係を求める人もいるし、最初は体だけの関係でいいって人もいるだろう。
けど、爺さんになってもワイルドに生きたい一匹狼のゲイってのもやっぱりいるのかなあ。
まあ、相手が男だろうが女だろうがこの際あまり関係ないな。
ということに気づいたが。

愛なんて信じてないのか。
はたまた、そんなもんはどうでもいいのか。
そしてその状態はいつまで続けられるものなのか。
謎だ。
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